どんな野菜なの?
日野菜とはカブの一種で、滋賀県蒲生郡日野町鎌掛を原産地として昔から作られてきた伝統野菜です。発祥地付近では「あかな」とも呼ばれています。根の上部が「赤紫色」、下が「白」と色分けされており、茎や葉脈も鮮やかな赤紫色をしていることに由来するのでしょう。その歴史は古く、原種の発見は戦国時代にまで遡ると言われています。
今でこそ日野菜は日本の広範囲で栽培される野菜となりましたが、『原種』にこだわって栽培しているのはこの地域だけです。
日野菜はどんな料理にアレンジしても美味しい野菜として、滋賀県を中心に絶大な人気を誇っています。特に『日野菜漬け』は滋賀県を代表とする名物として知られており、お土産に人気です。
一般的に日野菜はカブの一種とされていますが、滋賀県内では『ひとつの独立した野菜』として区別し、扱っています。主な収穫期は11月下旬〜12月下旬の秋から冬にかけての短い時期で、全て手作業で行っています。
原種の日野菜は、日野町の人々に大切に、大切に、育てられているのです。
日野菜の栄養価
常温でも温めても、サラダとしてそのまま食べられる日野菜。どんな料理にアレンジしても「美味しい!」と人気の食材ですが、『美味しさ』だけでなく『健康』という側面から評価されるべき野菜であることをご存知ですか??
日野菜は非常に多くの【β-カロテン】を含んだ貴重な食材です。β-カロテンは体内でビタミンAに変換され、艶のある美しい髪の維持に役立ちます。また【ビタミンC】も豊富なので、疲労の回復や肌荒れなどに効果があります。まさに、『女性が積極的に摂りたい食材』と言えるでしょう。またむくみ解消に効果のあるカリウムや、強い骨に欠かせないカルシウムも含んでいます。
さらに日野菜は【アミラーゼ】という消化酵素を含んでおり、胃もたれや胸やけを和らげるような働きや整腸作用があります。また先ほどお話しした【β-カロテン】には、視力維持や呼吸器系の粘膜や皮膚を守る働きがあります。さらに、がんを予防する作用もあるのです。がんは、日本では2人に1人がかかるといわれ、3人に1人が死亡する《日本国民の死亡率 第1位の病気》です。(全国健康保険協会より)
老若男女問わず、積極的に摂取したい食材だと言えますね!
根よりも葉の方にこのような栄養素をはるかに多く含んでいるため、根も葉も、丸ごと食べるのがオススメ◎
日野菜を使った料理
漬物と天ぷらのご紹介
《【一番人気!】漬物のご紹介》
日野菜は漬物にして食されることが多い野菜です。昔から甘酢漬けやぬか漬けなどの漬物として食べられてきました。日野菜の漬物は特に『葉の部分』が、塩味と苦さが入り交じった独特の辛みがあり、酒のアテや御飯のお供にピッタリです♪『根の部分』は苦味も辛味もほとんどなく、お子様にも食べやすくなっています。
程よい歯応えが食事に満足感を与え、箸休めにも欠かせない逸品です。
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葉の部分まで合わせると60cmほどになる日野菜を、酒・塩・酢を使って丸々一本漬けたものを『えび漬け』と言います。赤みの強い色合いや、その見た目が『海老』に似ていることから来たものです。
一方塩分を薄めにし、切ってから漬けるものを『さくら漬け』と呼びます。漬けたときに淡く桜色に染まる様子から、そのように呼ばれて親しまれてきました。あっさりと漬けたこちらは漬物であるにも関わらずサラダの様であり、桜のような美しいピンク色と鮮やかな緑の葉のコントラストは、他の漬物とは比べ物にならない抜群の艶やかさを持っています。
この美しさは、後柏原天皇の賛美の声を頂戴したほどなんですよ!
また日野菜が持つ独特の辛味、苦味は、天ぷらにもしても最高です。
日本テレビさんの満点青空レストランでも紹介されました。
下のページでは日野菜を使った他のレシピをたくさん掲載しておりますので、よろしければご覧ください♪
日野菜の歴史
日野菜はその昔、室町時代の1470年代に当地の領主であった蒲生貞秀が、自身の居城である音羽城の付近の爺父渓(現在の日野町鎌掛)の観音堂に参詣した際、当地の山林で自生していた野菜を発見し、その菜を漬物にしたところ、色、味のいずれも、大変風流で雅なものであった。そこで観音堂の僧に命じて菜が野生していた場所を開墾し、栽培させた。その後、それを京の公家、飛鳥井雅親に贈り、さらに、時の天皇、後柏原帝に献上されその時、その漬物の美味しさをお喜びになり、その公家を前に、帝が次の和歌がお贈りになられたという所にまで、歴史は遡る。
『近江なる ひものの里の さくら漬 これぞ小春の しるしなるらん』
この和歌が読まれた後に、この菜を日野菜とよび、漬物を「さくら漬」と呼ぶようになったとされている。また、この時以降、蒲生氏が京へ上洛する際は、必ず、「さくら漬」を持参し献上していたという。
江戸時代に入り、近江国が彦根藩井伊家の治める地域となると、その独特の風味が藩主の好みに合ったために御殿野菜として門外不出になったという。
(ただし、日野は彦根藩の領地ではなく、仁正寺藩市橋家領や水口藩加藤家領、幕府直轄領がほとんどであ
る。)
その後、時代はさらに下り、明治から大正の頃にかけて、吉村源佐衛門、吉村源兵衛という商人の親子がまず、日野菜の栽培について研究した上で、種子の改良を加えた。更に源兵衛の息子、正治郎が、風媒、虫媒による変種をさける工夫を行ったうえで共同栽培地を選定し、乱売の発生による品質の低下を避け、地域住民に良質の種子を販売した結果、今ある、根が直径五百円玉と同等のサイズ、長さが約30cm程度という細長く、上部が紅紫色で下の部分の白色であり、葉は濃い紅紫色をした日野菜に改良したといわれている。
産地について
日野菜はかぶの仲間で、県内でも各地で生産されていますが、その名が示すように蒲生郡の日野町が発祥の地。今から約500年前の室町時代、時の領主だった蒲生貞秀が日野町鎌掛(かいがけ)にある観音堂に詣でた時に発見した、と伝わっています。その後、日野菜は蒲生氏の転封で伊勢や会津に、さらに日野商人(近江商人)の手によって長野や新潟、四国などへも広まっていきました。とはいえやはり、日野町鎌掛でとれる日野菜が姿や色が最も美しく、味も良い、といわれています。
日野菜は、この、かぶの部分の赤紫と白がくっきり分かれているのがいいのですが、色合いはこの鎌掛がいちばん美しく出る、といわれています。理由としては、まず原種の種から栽培していること。原種の日野菜は赤紫の部分が濃く、独特のほろ苦さがあります。
そして何より鎌掛特有の土壌や気候が影響していると言われています。砂地で通水性が良く、また霧が多く夜露が葉につくという気候が栽培に適しているとのことです。
栽培方法
日野菜は10~翌1月末くらいまで収穫でき、旬は11~12月です。
日野菜は種まきから50~60日で生育し、ゆっくり生育するほどに赤紫の色合いがきれいに出ます。太さが100円玉から500円玉くらいになるまで成長させます。
病気、害虫、獣害対策
注意が必要なのが病気、害虫の被害です。
なかでも怖いのはキスジノミハムシという害虫で、この虫にやられるとかぶの赤紫色が下の白い部分にもまわり、日野菜特有の美しさが損なわれてしまいます。防除のため、毎日のこまめなチェックが必要になります。
また、獣害対策も大変です。猿やイノシシ、シカまでも日野菜を食べにきます。
滋賀県では近年農作物の獣害被害がひどく、山間の畑や田の至る所で防獣フェンスが張られています。